October 17102001

 旅客機閉す秋風のアラブ服が最後

                           飯島晴子

十数年も以前の昔の句だ。このことは、お断りしておく必要がありそうである。句は想像の産物かもしれないが、実見ないしはテレビの映像からだとすれば、空港は羽田だろう。秋の旅客の服装の色は、おおむねダーク系統である。でも、ひとり白系統のアラブ服の人が意表をつくようにタラップを降りてきた。昔も今も、アラブは遠い。どこぞの大金持ちか、はたまた政府の高官かなんぞとは、瞬間的には思わない。ましてや大いに洒落のめして、これぞ「白秋」なんぞとも……。反射的に感じたのは、この白い服装ではこれから夜になるのだし、これから冬に向かうのだし、寒いし心細いのではないかというようなことだろう。そして、彼を最後に飛行機の扉は閉められたというのである。閉められたからには、後戻りはできない。後戻りする旅客など滅多にいるわけはないけれど、作者には一瞬彼の後戻りを期待する感じがあった。そういう意識がほとんどわけもなく働いたからこそ、この句ができた。「最後」というのは、当人の意志がどうであれ、どこかに逡巡の気を含んでいるように見えるものだ。そしてひとたび扉が閉められたからには、もはや彼はその白い服のままで、この異国で寒い季節を過ごさねばならない。否応はない。かつてこの句に阿部完市が寄せたコメントに「そのひとりの人の姿は、その内側の有心を仄みせていて、確かにまた飯島晴子その人のことである」とある。ああ、こんなことは書きたくもないが、まことにその通りに「最後」に飯島さんは、みずからの「旅客機」の扉をみずからの手で「閉じ」てしまわれたのであった。『蕨手』(1972)所収。(清水哲男)




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