October 15102001

 釣瓶落しとずるずる海に没る夕陽

                           寺井谷子

語は「釣瓶落し(つるべおとし)」で秋。秋の日の暮れやすさを、釣瓶が井戸の中にまっすぐに落ちることに例えた言葉だ。井戸の底は、いつも夜のように暗い。落ちる釣瓶にしてみれば、あっという間に闇の世界に入るのだから、なかなかによくできた例えではある。しかし、実際の夕陽の沈み具合はどうだろうか。海岸で眺めている作者の頭には「釣瓶落し」の例えが入っているので、かなりの速さで「没る(「おちる」と読むのだろうか)」だろうと期待していたのだが、案に相違して「ずるずる」という感じでの落日であった。この句に目がとまったのは、私も「ずるずる」にやられたことがあるからだ。8ミリ映画に凝っていたころ、水平線に沈む太陽を完全に没するまで長回しで撮影しようとした。長回しといっても、フィルムは一巻で3分20秒しか回せない。日没時刻を調べていかなかったので、秋の日は「釣瓶落し」を頼りに、いい加減なタイミングで撮影をはじめたところ、まだ沈まないうちに3分20秒のタイムリミットが来てしまい、完璧に失敗。そのときに思ったことは、「釣瓶落し」の例えは山国での発想だろうということだった。つまり、秋になると太陽の高度が低くなるので、日差しが夏場よりも早く山々に遮られ、夕闇は当然それだけ早く訪れる。例えはそのことを強調して言っているのであって、べつに太陽の沈むスピードには関係がないわけだ。「速さ」と「早さ」の混同を、この季語は起こさせる。すなわち「釣瓶落し」は、山に囲まれた地域限定の季語と言ってよいだろう。『人寰』(2001)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます