October 12102001

 はじめから傾ぐ藁塚にて候

                           伊藤白潮

語は「藁塚(わらづか)」で秋。新藁を保存するために、刈り田のあとに円筒形に積み上げた塚だ。「にお」と呼ぶ地方が多いらしいが、私の田舎の山口では「としゃく」と言っていた。今も「としゃく」だ。漢字では、どう書くんだろうか。棒を中心に立てて積んでいたが、棒を使わない積み方もあるのだという。とにかく上手に積み上げないと、「藁塚」は日が経つに連れてだんだんと傾いてくる。見た目にも、ぶざまになる。掲句は、そんな下手な積み上げ方をされた「藁塚」が、作ったご主人に代わって言いわけをしているのだ。「はじめから傾(かし)ぐ」ようにと、ご主人は意図的に積み上げられたのですから、笑うのは筋違いですよ。私は平気でござんすからね、以上っ。と、かたわらを通る人みんなに、頼まれもしないのに説明しているのである。そこが可笑しい。当たり前の話だが、各種の農作業の工程に巧拙はつきもので、それぞれに苦手な作業も出てくる。百姓だからといって、百姓仕事のすべてを完璧にこなせるわけじゃない。「藁塚」などは長く人目につくものなので、苦手な人には苦痛だろう。きっと誰かが笑っているという強迫観念に苛まれる人も、いるはずだ。だから作者はそこらへんの事情を慮って、べつに下手だっていいじゃないかと、この句をわざわざ書いたのである。心根の優しい俳人だなと、元農家の子供としては思ったことである。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




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