October 10102001

 有明や浅間の霧が膳をはふ

                           小林一茶

朝の旅立ち。「有明(ありあけ)」は、月がまだ天にありながら夜の明けかけること。また、そのころを言う。すっかり旅支度をととのえて、あとは飯を食うだけ。窓を開け放つと空には月がかかっており、浅間(山)から流れ出た「霧」が煙のように舞い込んできて「膳(ぜん)」の上を這うようである。「はふ」が、霧の濃さをうかがわせて巧みだ。膳の上には飯と味噌汁と、あとは何だろう。かたわらには、振り分け荷物と笠くらいか。寒くて暗い部屋で、味噌汁をすする一茶の姿を想像すると、昔の旅は大変だったろうと思う。これから、朝一番の新幹線に乗るわけじゃないのだから……。したがって一茶は、私たちが今この句になんとなく感じてしまうような旅の情趣を詠んだのではないだろう。情趣は情趣であっても、早起きの清々しさとは相容れない、いささか不機嫌な気分……。「膳」を這う「霧」が醸し出すねばねばとした感じ……。宿の場所は軽井沢のようだが、もとより往時は大田舎である。句の書かれた『七番日記』には、こんな句もある。「しなのぢやそばの白さもぞつとする」。一面の蕎麦(そば)の花の白さで、よけいに冷気が身にしみたのだ。昔の人は、私たちの想像をはるかに超えて、自然風物に「ぞつと」しながら歩くことが多かったにちがいない。(清水哲男)




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