October 09102001

 山の蟻叫びて木より落ちにけり

                           大串 章

の作者にしては、珍しくイメージをそのまんまポイッと放り出したような句だ。面白い。むろん「蟻」は豚とちがって(笑)、おだてられなくても日常的に木には登るが、これが落っこちるという想像にまで私は行ったことがなくて、意表を突かれた。そうだなあ、登った以上は、なかには落っこちる奴だっているかもしれないな。それも「叫びて」というのだから、それこそ意表を突かれての不慮の落下なのだろう。百戦錬磨の「山の蟻」が足を踏み外すなんてことは考えられないので、よほどの思わぬ事態に遭遇したのか。「ああっ」と叫びながら、小さな「蟻」にとっては奈落の底と感じられるであろう所まで落ちていった。叫び声が「ああっ」かどうかは読者の思いようにまかされているけれど、そして決して「蟻」は叫ばないのだけれど、この叫び声が読者には確かに聞こえるような気がするという不思議。これも、俳句様式のもたらす力のうちである。叫びながら落ちていった「蟻」は、しかし、死ぬことにはならないだろう。人間である読者の常識が、そう告げている。そこに、句の救いがある。そして、しかしながら「蟻」の叫び声は読者の虚空にいつまでも残る。何故か。私たちが「蟻」ではなくて、ついに「人」でしかないからなのだ。なお、季語は「蟻」で夏に分類されている。俳誌「百鳥」(2001年10月号)所載。(清水哲男)




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