September 2892001

 秋刀魚焼かるおのれより垂るあぶらもて

                           木下夕爾

いてい「秋刀魚」を焼く句というと、菜箸(さいばし)に火がついたとか、煙がものすごいとか、当の魚それ自体の焼かれる状態には目をやらずに詠む。目がいかないのではなくて、目はいっているのだが、見なかったことにして詠むのである。何故か。書くまでもないだろうが、これから食べようかという相手を、人は同じ生物レベルで認めたくないからだ。認めたなら、すなわち共食いになるからだ。共食いを感性的に忌避するのは、人間だけだと思う。人が自然界で弱いほうの生物として生き永らえてきたのは、まずは人間同士の共食いを可能なかぎりに避けてきた知恵からではないだろうか。したがって人食い人種(と言われた人たちの真実は知らないが)は、極めて「人為」的に淘汰されてしまった。共食いを人類生存の障害として排除してきた別種の表現形態や様式が、食欲とは何の関係もない風情で、しれっと文化文明として我々の前に立っていると思うと、これはこれで興味深い。掲句の作者は、そうしたことどもに半ば本能的に苛立ち、共食いを直視せよと言わんばかりなのである。人にも我が身を焼く「あぶら」はあるじゃないか、と。このときに、自分自身の「あぶら」で身を焼かれている「秋刀魚」を哀れとも、ましてや滑稽と言うのではない。むしろ掲句は、共食いを直視できない人間の哀れと滑稽を言いたかったのだと思う。淡く透明な抒情詩をたくさん書いた詩人にしては、めずらしく原初的な怒りを露(あらわ)にした句だ。ただし賭けてもいいが、この人は「秋刀魚」が好物ではなかったと、それだけは言えるだろう。『遠雷』(1959)所収。(清水哲男)




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