September 2292001

 いなづまの花櫛に憑く舞子かな

                           後藤夜半

語は「いなづま(稲妻)」で秋。女性讃句。一瞬、遠くで光った「いなづま」が、眼前の「舞子(舞妓)」の「花櫛(はなぐし)」に「憑く(つく)」ように見えたと言うのである。このときに稲妻は花櫛に同化して花櫛そのものなのであり、間接的にはおそらく彼女の気性の強さを表していて、その気性を作者は好ましく思っているということだろう。稲妻が消えた後でも、花櫛はなお稲妻に憑かれて異彩を放っている。「ウツクシい」な。夜半はこのときに、まだ二十代か。大阪の商人で、遊里に入門したばかりと推定する。そんな初々しさが感じられる句だ。さて、「舞子」の定義。私は京都に住みながら、祇園の女性たちとは当たり前に無縁だった。たまたま、表で見かけるだけ。テレビで観るのと、さして変わりはない異次元世界の存在。したがって、どなたが「舞子」やら「芸子」やらの区別も、いまだにつかないでいる。で、以下はMacに仕込んである小学館の『スーパー・ニッポニカ2001』の丸写しだ。「京阪地方以西における半玉(はんぎょく)の名称。12〜16歳で芸子(げいこ)(芸者)に昇格するのは半玉と同じだが、座敷の余興に舞踊のほか下方(したかた)とよばれる鼓や太鼓の伴奏を勤めるなど独特の風習をもつ。玉代も芸者と同額で、半玉が芸者より低い地位にあるのに対し、芸者と同格に待遇された。座敷に出る盛装は、髪を割信夫(わりしのぶ)に結い、針打・花簪(はなかんざし)などで飾り、大振袖(ふりそで)の友禅を裾(すそ)を引いて着、襦袢(じゅばん)には赤衿を用い、厚板などの帯を「だらり」(猫じゃらし)に結び、戸外は高い木履(おこぼ)(ぽっくり)を履いて高く褄(つま)をとって歩くのを典型とする。1947年(昭和22)以後は年少女子の酒席接待が禁じられたので、年齢が引き上げられるとともに風俗も変化している。〈原島陽一〉」。ふうん、と思うだけ。でも、句の女性の美しさはわかるなあと思うのである。こんなふうに女性を讃めるのは、なかなか難しいんだよ。『青き獅子』(1962)所収。(清水哲男)




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