September 1692001

 或る闇は蟲の形をして哭けり

                           河原枇杷男

の音しきりの窓辺で書いています。窓外は真っ暗と言いたいところですが、東京の郊外といえども、どこかしらに光りがあって、真の闇は望むべくもありません。でも、虫の声の聞こえてくるあたりを見やると、そこはたしかに闇の中という感じがします。あちこちに、とても小さな真の闇がある。その意味では、都会の闇には、いつもそれなりの「形」があると言ってもよいだろう。むろん揚句の闇は、巨大なる真の闇である。鼻をつままれても、相手が誰だかわからないほどの……。だから、この闇には形などないわけで、そんな闇に「蟲(むし)の形」を与えたところが手柄の句。そして「哭(な)けり」の主語は「蟲」ではなくて、あくまでも「闇」そのものだ。平たく言えば、たまたま「闇」が「蟲」の形をして、いま「哭」いているのだよという見立て。したがって、句の「蟲の形」は明確な輪郭を持つものではない。いわば心眼をこらせば「蟲の形」をなしてくる「或る闇」なのだ。見ようとしなければ絶対に見えない「形」だし、見ようとすれば見える感じになる「形」である。故にたとえば「或る時」に「或る闇」は、たまたま人間の形になって哭くこともあるだろう。そんな方向に読者を連れていくのが、この句の大きな魅力だと思った。『密』(1970)所収。(清水哲男)




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