September 1492001

 水澄みて金閣の金さしにけり

                           阿波野青畝

語は「水澄む」。夏に比べて、秋は大気が爽やかになり水の澄む季節なので、秋の季語である。その水が澄みに澄んで、「金閣」寺を美しく写し出している。さながら絵葉書に見るような情景だ。戦前の作だから、焼失(1950)する前の建物であり、美しさは想像するしかないが、現在のものよりも「金」の色はくすんでいたかもしれない。歴史を経た金色である。その金色が折からの西日を受けて(作者自解による)、くすんだままにくっきりと池に投影されてきた。「さしにけり」の「さす」は、「口紅をさす」などと言うときの「さす」。彩(いろど)りをするという意味。澄み切った池の水に西日の傾きに連れて、すうっと地味な金色が反映してきたときの動的な感覚を表現している。絵葉書と言ったが、この「さしにけり」までの動きは絵葉書では表せない。空は晴れているので、上空には当然秋の夕焼けがのぞめたろう。すなわち、空も金色を湛えていた。と、ここでまた絵葉書。「寺を辞したとき、すでに日が西に没していた」と、自解にある。目裏に美しい残像を刻みつけるようにして、作者は寺を離れたことだろう。日の暮れた京都のひんやりとした大気の感触が、すこぶる心地よい。『国原』(1942)所収。(清水哲男)




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