September 1292001

 江戸の空東京の空秋刀魚買ふ

                           摂津幸彦

風一過の(か、どうかは知らねども)抜けるような青空が広がっている。この空は、江戸も東京も同じだ。とても気分がよいので、今夜は「秋刀魚(さんま)」にしようと買い求めた。江戸の人も、青空の下で自分と同じような気分で買っていたにちがいない。時代を越えて、この空が昔と同じであるように、昔の人と気持ちがつながった思いを詠んでいる。威勢のよさのある魚だから、江戸っ子気質にも通じている。ところで、江戸期に秋刀魚は「下品(げぼん)」とされていたようだ。つまり、下等な魚だと。例の馬琴の『俳諧歳時記栞草』を調べてみたが、載っていなかった。となれば、「秋刀魚」はごく新しい季語ということになる。あまりにも安価でポピュラーすぎた魚だからだろうか。そりゃまあ、鯛(たい)なんかと比べれば、ひどく脂ぎっているので上品な味とは言えない。そういえば落語の『目黒の秋刀魚』の殿様の食前にも、蒸して脂を抜き上品に調理した(つもりの)ものが出ていたのだった。さぞや不味かったろう。だから「秋刀魚は目黒に限る」が効いている。掲句とは無関係だが、「秋刀魚」の句を探しているうちに、こんな句に出会った。「花嫁はサンマの饅のごときもの」(渡辺誠一郎)。「饅」は酢味噌で食べる「ぬた」。ずいぶん考えてみたが、さっぱりわからない。悔しいけど、お手上げです。どなたか、解説していただけませんでしょうか。両句とも『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




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