September 1192001

 秋の夜の時計に時計合せ寝る

                           波多野爽波

日の朝は、早く起床しなければならない。そこで、目覚まし時計をセットしたのだろう。ラジオなどの時報に合わせるのではなく、室内の掛け時計に合わせた。いつも見慣れている掛け時計だから、少し進み気味だとか遅れ気味だとかを熟知しているので、そのあたりの誤差を計算して慎重に合わせたのだ。それでも正しくセットされたかどうかが気になり、何度も確かめている。思い当たる読者も多いだろう。では、なぜ「秋の夜」なのだろうか。時計を合わせることと季節とは、本来無関係である。必然性は、こういうことだろう。秋に入ると日の出がどんどん遅くなるので、まだ夏の日の出感覚から抜けきれない身には、そこが心配になる。夏だと窓が明るくなっても「まだこんな時間か」と、もう一寝入りできたのだが、その感覚で秋の時刻をとらえると間違ってしまう。それに、秋は熱帯夜もないので、ぐっすりと眠れる。そんな要素が重なって、寝過ごしやすいのが秋という季節。だからこそ、時計を慎重の上にも慎重に合わせたというわけだ。かつて早朝のラジオ番組を担当していたころには、私は毎晩三つの目覚まし時計をセットして寝ていた。手巻きで動く時計と電池式のものと、そしてもう一つはAC電源で動くものと。もしも、これらが偶然に全部故障したら、こいつはもう「どうにもならねえや」という心持ち。でも、やっぱり心配は心配だった。『舗道の花』(1956)所収。(清水哲男)




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