September 0792001

 五右衛門風呂の蓋はたつぷり赤のまま

                           大木あまり

城暮石に「ゴム長を穿きてふるさと赤のまま」の一句あり。犬蓼(いぬたで)の花を赤飯になぞらえて「赤のまま」と言った。どこにでも咲いているから、懐しい幼時の記憶と結びつく。あらためて見やると、なんだかほっとするような風情がある。掲句は丹沢での作。これから一番風呂をご馳走になるのだが、いわゆる内風呂ではなくて、母屋から少し離れた場所にある風呂場だろう。まだ表は明るい。風呂場を取り囲むようにして「赤のまま」が揺れており、風呂槽には湯がまんまんと湛えられている。「五右衛門風呂」だけに「蓋はたつぷり」と、浮蓋(うきぶた)の様子でたっぷりの湯を詠んだところが面白い。入る前から、懐しい幸福感に浸っている。まさしくご馳走である。「五右衛門風呂」命名の由来は、石川五右衛門釜茹(かまゆで)の刑から来ているようだ。『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』で、弥次喜多には入り方がわからなかったという話は有名。この風呂が、関西以西に流行っていたことを示している。私の田舎(山口県)でも、全体が鉄製の浴槽が「五右衛門風呂」の名で普及していたが、厳密に言えばこれは「長州風呂」だと、物の本に書いてあった。桶の底である釜だけが鉄製のものを「五右衛門風呂」と呼んだそうだ。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)




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