August 3182001

 父に金遣りたる祭過ぎにけり

                           藤田湘子

ろそろ秋祭のシーズンだが、単に「祭」といえば夏祭を指す。古くは京都の葵祭(賀茂祭)だけを意味した。八月も、今日でお終い。この句は、過ぎゆく夏を振り返っての作だ。眼目はむろん、父親に小遣いを渡したことにあり、そういうことをしたのはこの夏が最初だったのだ。このとき、作者は五十代。やっと一人前になれたという感慨に加えて、気がついてみたら、作者自身の人生の盛り(夏祭)が過ぎ去っていたことへの哀惜の念も込められている。息子から「祭」の小遣いをもらう身になった父親も十分に老いたが、渡した側ももう決して若くはないのである。ところで、この「遣(や)りたる」という言葉遣いに抵抗を覚える読者もおられるだろう。父親は目上の人だから、「あげたる」ではないのかと……。我が子にも「お菓子をあげる」と言い、犬にまで「餌をあげる」と言うのが一般的なようだから、無理もない。昔は両方ともに「遣る」と言った。すなわち、身内同士の振る舞いを掲句のように他人に示す場合には、一歩へりくだるのが礼儀だったからである。謙譲語に対して謙遜語とでも言うべきか。これを「あげたる」とすると、他人に対してたとえば「ウチのお父さんが」と言うが如しで、気色が悪い。そう言えば、テレビを見ていると「ウチのお父さん」派も増えてきた。内と外との区別がない。それも、内側の言葉を外へと押し広げていくだけのことだから、常識ではこれを「わがまま」と言う。『春祭』(1982)所収。(清水哲男)




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