August 1482001

 稲稔りゆつくり曇る山の国

                           廣瀬直人

者は山梨県東八代郡に生まれ、現在も同地に暮らす。したがって山梨の山河に取材した句が多いが、掲句もその一句だ。季語は「稲」で秋。なによりも私は、一見地味な「ゆつくり」の措辞に心惹かれた。一面に広がった田圃に稔りつつある稲の生長も「ゆつくり」なら、空の曇りようも「ゆつくり」である。「ゆつくり」は単に速度が遅いという意味ではなく、自然の動きが充実しながらしかるべき方向に移ってゆく様子を捉えている。自然が、自然のままに満ち足りて発酵していく時間の経過を述べている。「山の国」ならではの感慨で、都会でもむろん「ゆつくり」曇ることはあるけれど、それに照応する自然がないので、単に速度が遅いという意味にしかなり得ない。子供の頃の私の田舎でも、時はこのように「ゆつくり」と流れていたのだろう。そして、おそらくは今も……。しかし当時の私には、充実に通じる「ゆつくり」が理解できなかったのだ。ただそれを、退屈な時間としか受容できなかったのである。今日あたりの故郷には、村を出ていった友人たちも多く帰省しているだろう。そして、この「ゆつくり」の自然の恵みを存分に味わっているにちがいない。帰りたかったな。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)




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