August 1182001

 新涼や吉永小百合ブルー・ジーン

                           中村哮夫

になって感じる涼しさが「新涼(しんりょう)」。単に「涼し」と言うと、夏の暑さのなかで涼気を感じる意味なので夏の季語である。作者は東宝撮影所、同演劇部を経た舞台演出家。したがって、掲句はテレビや映画を見ての句ではなく、実景を詠んだものだろう。作句年代からすると、つい数年前の吉永小百合だ。昔から涼しげなイメージの女優であり、しかもラフな「ブルー・ジーン」姿なのだから、なるほど「新涼」にはぴったりだと思った。他に思いつく女優の名前をいくつかランダムに当てはめてみたけれど、小百合以上にしっくりとくる人はいなかった。もっとも、これは昔のいわゆる「サユリスト」の贔屓(ひいき)目かもしれず、鑑賞の客観性にはさほど自信がない。でも、ま、いいか……。彼女を一躍スターにした映画は浦山桐郎監督の『キューポラのある街』(1962・日活)であり、貧乏にもめげず明るくしっかりした性格の少女役を演じていた。すっかりファンになってしまった私は、大学新聞の文化面に「吉永小百合の不可能性」なる批評文を書いたのだったが、このタイトル以外は何も覚えていない。「可能性」ではなく「不可能性」とやったところに、なまじな「サユリスト」とは違うんだぞという生意気さが感じられる。そんなことも思い出した。句に固有名詞を詠み込むのは、それこそ客観性に乏しくなる危険性を孕むので、なかなかに難しい。私にはしっくり来たが、他の読者にはどうであろうか。『中村嵐楓子句集』(2001)所収。(清水哲男)




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