August 0282001

 笹舟を水鉄砲で送り出す

                           つぶやく堂やんま

近は軽いピストル型のものしか見かけないが、作者が子供だったころのそれは、たぶん手作りの竹製「水鉄砲」のはずである。竹筒の先端に錐や釘で適当な大きさの穴を開け、木の棒にボロ布を固く巻き付けて筒の中に押し込み、ポンプの原理で水を吸い上げては押し出す。私もよく作ったが、作ってみてわかることは、悲しいかな、なかなか相応しい標的が見つからないことである。いやしくも「鉄砲」なのだからして、何かにカッコよく命中させたいと思うのが、子供なりの人情というものだろう。それも、なるべくなら動く標的が望ましい。そこで「ちちははを水鉄砲の的に呼ぶ」(井沢正江)となったりするわけだが、いかな親馬鹿でも、そうそう相手になってはくれない。で、ついに標的を捜しあぐねた子供が思いついたのが、掲句の世界だ。思いついたというよりも、水鉄砲遊びをあきらめて、笹舟作りに移ってみたら、たまたま手元に「鉄砲」があることに気がついたのだ。おお、目の前にあるのは、まさに動く標的ではないか。だが、構えてはみたものの、せっかく作った笹舟をまともに撃って転覆させるのはもったいない。そんな意識が瞬間的に働き、射撃手としては笹舟の少し後ろの水面を撃つことで、「送り出す」ことにしたという次第。それも一度ならず、何度も何度もである。炎天下で一人遊びをする子供ならではの、淡い寂寥感も漂ってきて、懐かしい味のする句だ。『ぼんやりと』(1998)所収。(清水哲男)




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