July 2972001

 炎天下おなじ家から人が出る

                           永末恵子

らぎらと灼けつくような日盛りの通りだ。人影もない。すると、とある家から「人」が出てきた。そして「おなじ家」から、また人が出てきた。ただそれだけのことなのだが、作者はなんだか不意をつかれたような気持ちになっている。ひとりだけならば、さほど何も感じなかったろう。つづいてもうひとり出てきたことで、この「炎天下」に何用かと、思わずも出てきた「人」たちにではなく、その「家」のほうに、不思議なものでも見るような視線を走らせたにちがいない。つまり、その「家」の事情に関心が動いたのだ。すなわち、いま止むを得ずに「炎天下」にいる自分の事情以上の事情があるような気がしてしまったのである。私には、句の全景が白日夢のように写る。あるいは、無声映画の露出オーバーの一シーンでも見ているような感じだ。真っ白な道のむこうに建つ真っ黒な家から、真っ黒な人影がぽろりぽろりと出てくる無音の世界……。炎天、ここに極まれり。作者の出発は自由詩だったと聞くが、自由詩では書けない世界をちゃんと知っている人ならではの「俳句」だとも思った。『留守』(1994)所収。(清水哲男)




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