July 2872001

 弟子となるなら炎帝の高弟に

                           能村登四郎

い暑いと逃げ回るのにも、疲れる。かといって、しょせん凡人である。かの禅僧快川が、火をかけられ端坐焼死しようとする際に発したという「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の境地には至りえない。ならば、猛暑の上を行ってやろう。すなわち、いっそのこと「炎帝(えんてい)」の弟子になってやれ、それも下っ端ではなくて「高弟」になるんだ。「高弟」になって、我とわが身を真っ赤な火の玉にして燃えつづけてやるんだ……。暑さには暑さを、目には目を。猛暑酷暑に立ち向かう気概にあふれていて、気持ちの良い句だ。しかし、よほど身体の調子がよいときでないと、この発想は生まれてこないだろう。「炎帝」は夏をつかさどる神、またはその神としての太陽のことで、れっきとした夏の季語である。同じ作者に「露骨言葉に男いきいき熱帯夜」があり、こちらは立ち向かうというのではなく、やり過ごす知恵とでも言うべきか。どうせよく眠れない「熱帯夜」なのだからと、酒盛りをおっぱじめ、飲むほどに酔うほどに卑猥な言葉を連発しあっている男たち。不眠に悶々とするよりは、かくのごとくに「いきいき」できるのだからして、「露骨言葉」もなんのそのなのである。『寒九』(1986)所収。(清水哲男)




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