July 2472001

 重荷つり上げんと裸体ぶら下る

                           竹中 宏

語は「裸」で夏。これぞ「裸」のなかの「裸」だ。もとより全裸ではないのだけれど、まったき裸の凄みを感じる。真夏の工事現場あたりでの嘱目吟かもしれないし、そうではないかもしれない。そんなことはどうでもよいと思われるほどに、この「裸体」には説得力がある。底力がある。人間、いくら生きていても、裸でこのように渾身の力と体重をかけて何かをする機会は、めったにあるものではない。句の男は、それを当たり前のようにやっている。当人はもちろん、見ている側にも、いや句を読んでいるだけの側にも力が入る。単純でわかりやすい構図だけに、よりいっそうの力が入るのだ。こういう句を読むと、炎暑に立ち向かうという気概がわいてくる。小手先でごちゃごちゃクレーンの装置などをいじっているよりも、この男の単純な力技の発揮のほうが、よほど清冽な真夏の過ごし方だと思えてしまう。はたして、この「重荷」はつり上がったろうか。なかなかつり上がらずに、男はぶざまにも宙で脚をバタバタさせることになるのかもしれない。それも、また良し。作者の役割は「ぶら下がる」ときの気合いだけを伝えることなのだから。作者の竹中宏は、十代からの草田男門である。「翔臨」(第41号・2001年6月30日発行)所載。(清水哲男)




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