July 1472001

 涼風も招けバ湯から出にけり

                           西原文虎

ことに機嫌のよい句だ。読者には、作者の「上機嫌」が自然にうつってしまう。たいした中身ではないのだけれど、夏の入浴の快適さを、そしてみずからの上機嫌をすっと伝えるのは、本当はなかなかに難しい。いつかも書いたように、「喜」と「楽」の表出は日本人の苦手としてきたところなのだ。「涼風」は「すずかぜ」と、私なりに勝手に読んでおこう。文虎は一茶晩年の信州での最も若い弟子で、この日は師や兄弟子たちとともに温泉に遊んでいる。「涼風も」の「も」は、一茶や先輩たちの顔を立てての言でもあるが、彼の上機嫌は「涼風」の心地よさもさることながら、みんなのなかにいることそれ自体の嬉しさから出ている。そして、この素直な詠みぶりには一茶の息が感じられる。句には長い前書があり、温泉に来る途中でのつれづれの雑談も記録されている。「行く行くたがひに知恵袋の底を敲ていはく。支考ハうそ商人、其角は酒狂人、獨古鎌首ハむだ争ひに月日をついやすなとゝ。口に年貢の出でざればいちいち疵ものになして、興に乗じて箱峠のはこも踏破りつゝ、程なく田中の里にいたる。……」。口で何を言っても年貢を取り立てられるわけじゃなしと、言いたい放題の悪口も楽しかったのだ。この日は雲一つない晴天で、師の一茶もすこぶる元気だったという。からりとした信州の夏の日の、からりと気持ちの良い一句である。栗生純夫編『一茶十哲句集』(1942)所載。(清水哲男)




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