July 1272001

 木に登る少年は老い夏木立

                           三宅やよい

い木陰をつくり、群れ立っている夏の木々。葉が茂っているので下からは姿がよく見えないのだが、その一本に少年が登っている。なんだか、このまま彼が下りてこないような感じを受けたのだろう。木の上では猛烈なはやさで時間が過ぎていて、登った少年もあっという間に年をとってしまう……。という、夏の真昼時の幻想だ。この句に出会って、もうずいぶんと木に登ってないなと思った。少年時代には、退屈すると登った。適当な枝に腰掛けて脚をぶらぶらさせ、青葉のかげから遠くを見ていた。たまに下を通る人がいると、何故だか知らないが、気がつかれないように身を小さくしたものだった。柿の木は折れやすいので登ってはいけないと知りながらも、おっかなびっくり登るスリルも楽しんだ。本当に、枝といっしょに落っこっちゃった不運な友もいたけれど……。木の上に暮らしていたハックルベリー・フィンじゃないが、あそこには地上とは別の魅力的な世界がある。地面からほんのわずか浮き上がっただけなのに、子供でも(子供だからか)人生観が変わったような気にすらなる。私などもはや木に登ることもあるまいが、いま登ったとしたならば、たまさか通りかかった誰かは、どんな句に仕立ててくれるだろうか。ま、その前に、おせっかいな誰かが飛んでくるのだろう。そういえば、どなたか俳句の「モデル」になったことはありますか。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)




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