July 0372001

 枇杷すする母は手首に輪ゴムはめ

                           沢村和子

い物をすると、何でもかでも包装紙の上から「輪ゴム」をかけて渡す時代があった。文庫本でも二冊以上買うと、ぱちんと輪ゴムでとめてくれた。そうした輪ゴムは捨てないでとっておき、再利用したものである。ただ粗悪品が多かったので、せっかくとっておいても、使うときには切れてしまうこともしばしばだった。ちなみに、掲句は1956年(昭和三十一年)の作。母親が買い物の折りに、出回りはじめた枇杷(びわ)を買ってきてくれたのだろう。作者といっしょにおやつとして食べているのだが、母親の手首にはいま外したばかりの輪ゴムがとりあえず「はめ」られており、後でしかるべき場所に保管するのだ。枇杷を「食べる」のではなく「すする」という表現とともに、ゆっくりとおやつを味わうヒマもない母親の姿が活写されている。極端に言えば、中腰でのおやつ時という印象。よく働いた昔の母親像を、これだけの道具立てで描いてみせた作者の腕前は相当なものである。この句から十六年後に「風鈴や湖わたりくる母菩薩」の一句がある。合わせて読むと、ひどく切ない。そしてその三年後には「藤房の死にとどきつつさがりけり」と……。私の知るかぎり、これが沢村和子最後の作品である。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)




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