July 0172001

 七月や既にたのしき草の丈

                           日野草城

半ばに梅雨が明けると、いよいよ夏の盛りが訪れる。下旬には、子供らの夏休みもはじまる。暑さも暑しの季節だが、自然的にも人事的にも他の月とは違い、「七月」は活気溢れるイメージに満ちた月だ。掲句は「既にたのしき」とあるから、まだ盛夏ではなく、新しく今月を迎えたばかりの感慨である。ぐんぐんと伸びつづける「草の丈」に、夏の真っ盛りも近いと感じ、しかも技巧的にごちゃごちゃと細工したりせずに、素朴に「たのしき」と言い止めたところが素晴らしい。この句を読んだ人はみな、庭などの「草の丈」をあらためて見てみたくなるだろう。晩年に近い長期療養中の作句であるが、作者自身の生命力のありようも伝わってくる。まだ若くて元気なころの句に「七月のつめたきスウプ澄み透り」があるけれど、モダンで美々しくはあっても、むしろ生命力の希薄さを覚えさせられる。「七月」という言葉の必然性も、体感的には希薄だ。すなわち、健康な人はついに健康を対象化できないということか。その必要もないからと言えばそれまでだし、たぶんそういうことなのだろうが……。『人生の午後』(1953)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます