June 2362001

 金魚赤し賞与もて人量らるる

                           草間時彦

の賞与(ボーナス)。季語としての「賞与」は、冬期に分類されている。昔の「賞与」は、正月のお餅代の意味合いが濃かったからだろう。欧米のbonusと言うと、能率給制度のもとで標準作業量以上の成果をあげた場合に支払われる賃金の割増し分のことのようだが、日本ではお餅代のように、長く慰労的・恩恵的な慣習的給与のニュアンスが強かった。そこに、だんだん会社への貢献度を加味すべく「査定」なる物差しが当てはじめられたから、掲句のようなやるせなさも鬱積することになった。私はサラリーマン生活が短かったので、作者の鬱屈とはほぼ無縁だったけれど、外部から見ていて、スパイ情報を集めて査定をするような会社は、やはりイヤだった。いまどきの能率を言いたてる会社に勤める人には、作者以上の憤懣を抱く人が多いだろう。でも、出ないよりはマシというもの。出ない人は、この夏もたくさんいる。それはさておき、人を能率や効率の物差しで「量(はか)る」とは、どういうことなのか。そんなことで、安易に人の価値なんて決められるものか。そう叫びたくても、叫べない。叫べない気持ちのままに、金魚鉢の赤い金魚を見る。その鮮やかな赤さに、しかし、おのれの愚痴に似た口惜しさなどは跳ね返されてしまうのだ。人に飼われる「金魚」ほどにも、みずからの会社人間としての旗色が鮮明ではないという自嘲だろう。作者が三十代にして、やっと定職を得たころの作品。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます