June 1962001

 鮓店にほの聞く人の行方かな

                           正岡子規

じみの「鮓(すし)店」。客もたいていがおなじみの面々だ。といってもお互いに深いつきあいはなく、顔を合わせれば「やあ」と言ったり目礼したりする程度。名前も職業も知らない人もいる。そんな常連の一人が、最近ぱたりと顔を見せなくなった。何となく気になるので、「どうしたのかなあ」と主人に尋ねてみる。「私もよくは知りませんが……」と話してくれた主人の言で、ぼんやりとではあるが「行方」などが知れた。尋ねるほうも話すほうも、何がなんでも事情や所在を知ろうというわけではないので、会話は「ふうん」くらいで終わってしまう。それが「ほの聞く」。常連の多い店の会話は、だいたいこんなものだ。詮索好きの客や主人がいるとしたら、人は寄ってこない。付かず離れずの関係でいられるからこそ、居心地がよいのである。客は、いわば雰囲気も同時に食べている。そんな「鮓店」のよい雰囲気を、さらりと伝えた佳句だ。いまどきの回転鮨屋では、こうはいかない。ハンバーガー・ショップなどでもそうだが、腹ごしらえさえできればよいという店が跋扈している。逆に雰囲気を求めようとすれば高くつくし、この二十年ほどは、行きつけの店のないままに暮らしてきた。高浜虚子選『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)




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