June 0762001

 螢かごラジオのそばに灯りけり

                           瀧井孝作

の宵。部屋の電灯は灯されている。なのに、なぜ「螢」の微弱な光が見えるのか。キーは「ラジオ」の置かれている位置である。昔のラジオは、茶だんすの上だとか神棚の横などの高い所に置かれていた。子供の背では、ちょっと手が届かないくらいの高い所。ラジオの声は、いつも上の方から聞こえてくるものだった。したがってこの「螢かご」も、電灯の笠で光がさえぎられた位置に置かれたわけで、そこは真っ暗ではないけれど、微弱な光の明滅もそれなりに見えているというわけだ。句は、ラジオのダイヤルの窓がぼおっと灯っている隣に、これまたぼおっと明滅する光があると言うに過ぎない。が、いかにひそやかな光といえども、室内に新しい光が加えられると、人はなんだか嬉しくなるものだ。しかも見ていると、螢の明滅がラジオの声に反応してのそれのようでもある。このときに作者は、隣で聞く螢のために、ラジオのボリュームを少し下げてやったに違いない。この句は、新刊の「俳句文芸」(2001年6月号)の扉に、田代青山の書と絵で色紙風にアレンジされて載っていた。絵には「ラジオ」も「螢かご」も描かれておらず、ひっそりと十薬(どくだみ)の絵が添えられている。薄暗い所でぽっぽっと白く咲く十薬の花は、なるほど植物界の螢なのかもしれない。(清水哲男)




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