June 0562001

 母と子の生活の幅の溝浚ふ

                           菖蒲あや

句は、日常生活のレポート的側面を持つ。だから興味深いところがある反面、「だから」わからないところも出てくる。掲句はいわゆる「ドブさらい」を詠んでいるが、下水道が発達した現在では「ドブ」そのものが姿を消してしまった。もう二十年ほども前、泉麻人に「東京はドブの匂いがしなくなりましたね」と言われたことを覚えているので、いまの二十代くらいの人の大半にとっては、もはや理解不能な句ではあるまいか。そういう読者のために、句の載っている『俳諧歳時記・夏』(新潮文庫)の解説を丸写ししておく。「夏になって溝に汚水がたまると、蚊が発生したり、不潔な匂いを発生したりするので、近所の人達が集まって掃除をする。定期的にやるところもある。涼しい朝のうちに、主婦たちが集まって、何かと話に興じながら清掃する」。傍観者には、いわば夏の朝の風物詩。主婦にとっては、井戸端会議ならぬ「ドブ端会議」の場であった。ドブはごく細い溝だから、みんなで清掃すると言っても、自宅前のドブを浚えばよいわけだ。それを作者は「生活(たつき)の幅」と言い止めた。すなわち、「母と子」だけが暮らすささやかな家の前のドブは短い、と。物事には、実際に携わってみないとわからないことが、たくさんある。傍観者には詠めない句である。(清水哲男)




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