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April 0642001

 都をどり観給ふ母を見てゐたり

                           大串 章

語は「都踊」で、春。四月の間、京都祇園花見小路の歌舞練場で祇園の舞妓・芸妓が公演する絢爛豪華な踊りである。「都踊でよういやな」の掛け声でも有名だ。明治五年にはじまったというから、歴史は長い。田舎の母親を京都見物に招待した作者は、プランのなかに「都をどり」を組み込んだ。しかし、舞台を母が喜んでくれるかどうか心もとない。おそらく、作者も初見なのだと思われる。母のことが気になって、舞台に集中するどころではない。ちらちらと様子をうかがっているうちに「都をどりまぶしと母の微笑みぬ」と、喜んでくれた。ほっとした。招待とはまことに難しいもので、行きつけの飲屋に友人を誘っても、ちょっとこうした気分になる。ましてや、相手は遠く故郷から上洛してきた母親だ。気に入ってもらわなければ、悔いが残る。そんな気の遣いようが、身にしみて伝わってくる。母親からすれば、立派に成長した息子と並んで、一緒に舞台を観ているだけで十分に幸福なのだろう。だが、息子の側としては、そうはいかない。もっともっと喜ばせたい。喜ぶ顔が見たいのだ。と、このように母を思い遣る作者の心には、読者もほろりとさせられてしまう。他者からみれば、なんでもない光景だ。それゆえに、なのである。「給ふ」という表現も、よく生きている。久しぶりの邂逅であるし、今度会うのはいつのことにになるのかわからない。この気持ちが、ごく自然に「給ふ」と言わしめている。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)




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