March 2432001

 一斉に客の帰りし朧かな

                           塩谷康子

は「おぼろ」。「では、そろそろ失礼します……」。「あっ、もうこんな時間……」。一人が立ち上がると、うながされたように、みんなが「一斉に」立ち上がる。玄関まで見送って部屋に戻ると、そこには独特の雰囲気の空間が残っている。つい先刻まで笑いさざめいていた人たちの余韻があって、なんだか淋しいような、ホッとしたような。これから後片づけが待っているのだが、時は春。もてなした側の気配りの疲労感も、ぼおっと心地よく「朧」に溶けて、しばし室内を見渡している。どこか「一期一会」に通じるような、そんな作者の心情の通ってくる句だ。やはり春でなければ、こうは詠めまい。「朧」が客たちの余韻をふうわりと包み込み、引き摺るのである。むろん、これはホストとしての句。客によっては、ホストになれない家族もいる。子供の頃の来客は、いやだった。たいていが父の客で、子供は挨拶させられるだけ。客のいる間は、どこかに引っ込んでいるしか仕方がない。昼間ならば表で遊ぶというテもあるけれど、夜は別の部屋で息を殺すようにして過ごさねばならなかった。本でも読もうかと思うのだが、どうも気になって身が入らない。家の中に普段いない人が長時間いるということは、一つの事件と言ってもよさそうだ。教師の家庭訪問などは、さしずめ大事件と言うべきか。現状では、我が家の客には、圧倒的に連れ合いの客が多い。ついで、子供の客。その間は、別室で小さくなっている。私に客が少ないのは、男同士の交友はたいてい外の飲屋ですませてしまうせいと思うが、こういう句に触れると、たまには自宅で楽しくやりたくなってくる。春おぼろ……。今日あたり、この句を実感する読者もおられるだろう。『素足』(1997)所収。(清水哲男)




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