March 2032001

 口に出てわれから遠し卒業歌

                           石川桂郎

と、口をついて出た「卒業歌」だ。おそらく「仰げば尊し」だろう。しばらく小声で歌っているうちに、遠い日の卒業の頃が思い出された。懐かしい校舎や友人、教師の誰かれのこと……。甘酸っぱい記憶がよみがえる一方で、もう二度とこの歌を卒業式で歌うことのない自分の年齢に、あらためて感じ入っている。「われから遠し」は当たり前なのだが、やはり「われから遠し」と言ってみることで、遠さを客観化できたというわけだ。こういうことは私にもときどき起きて、つい最近の出来事のように思っていたことも、あらためて思い直してみると、長い年月が過ぎていたことにびっくりさせられたりする。卒業で言えば、「仰げば尊し」を歌って中学を出たのも、もう半世紀近くも昔のことになる。式が終わっても校舎を去りがたく、みんながなんとなく居残っているなかで、どういうわけか私は昇降口でハーモニカを吹いていた。しばらく吹いていると、教室にいた女子の一人が「そんな悲しい曲、吹かないでよ」と抗議しに出てきた。何の歌だったかは忘れたけれど、あわてて止めたことを、いまだに思い出すことがある。思い出しては、「われから遠し」の実感を深くする。あのときの女の子は、どうしているだろうか。私にハーモニカを止めさせたことを、覚えているかな。当時はいまと違って、高校に進学する生徒の数も少なかった。クラスの半分以下だった。だから、多くの級友にとっては、中学が最後の学校なのだった。去りがたい気持ちは、痛いほどによくわかる。書いているうちに、急にハーモニカを吹きたくなった。が、とっくになくしてしまった。『新日本大歳時記・春』(2000)所載。(清水哲男)




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