March 1132001

 森霞む日付けの赤き日曜日

                           櫛原希伊子

あ、絵になっている。読んだ途端に、実景というよりも、絵を感じた。それも、コンピュータ・グラフィックスで描いたような絵。カレンダーの日曜日の赤い「日付け」が前面にあり、それを通して遠くの森が霞んで見えている。下手くそながら、私はコンピュータの「お絵書きソフト」が好きなので、ついそう思ってしまったのだが、もとより作者にその意識はないはずだ。が、コンピュータを外しても、「日付けの赤き日曜日」というフィルターを通して森を霞ませたところには、モダンなデザイン感覚を感じる。自註で作者が書いているように、日曜日を「赤」としたのは誰なのだろうか。なぜ「赤」なのか。いつごろから行われてきたのだろうか。床屋さんでくるくる廻っている標識の「赤」は動脈、「青」は静脈を意味するそうだが、やはり人体に関連した比喩としての色彩なのだろうか。そう言えば、祝日も「赤」であり、最近のカレンダーでは土曜日も「赤」にしているものも見かけるが、これらは単に日曜日が「休み」という意味からの流用であって、本義の「赤」とは関係はないだろう。でたらめな本義の推測をしておけば、キリストが復活した安息日の日曜日にちなんでの「赤」なのかもしれない。すなわち、十字架で流された血の色だ。ユダヤ教での安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までだから、このあたり、ユダヤ教でのカレンダーでは何色なのだろう。たまたま手元にある中国のカレンダーでも、日曜日は「赤」で表示されている。となれば、宗教とは関係がないのかな。ともあれ、今日は「日付けの赤き日曜日」です。よい一日でありますように。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)




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