March 1032001

 春山を越えて土減る故郷かな

                           三橋敏雄

さしぶりに「故郷」を訪れた。春の山には、昔と変わらず木の芽の香りが漂い、鳥たちも鳴いている。少年時代に戻ったような気分で山を越えると、しかしそこに見えてきたのはすっかり「土」の減っている「故郷」であった。道路は舗装され、田畑もめっきり減ってビルや住宅になり、すっかり景観が変わってしまっている。さながら今浦島の心地……。「春山」が昔と同じたたずまいを保っているだけに、よけいに違和感がある。まさに「土減る故郷」と言うしかないのである。作者の故郷は東京の端の八王子だが、句の様子は、日本全国ほとんどの地に当てはまるだろう。我が故郷の村では「兎追いしかの山」すらも自衛隊の演習地と化し、山自体が人工的に形を変えられ生態系も激変したので、この句も成立できないありさまだ。成立しないといえば、国木田獨歩に、都会で一旗揚げようと村を飛びだした男が、失意のうちに故郷に舞い戻るという短編があった。揚句とは違い、故郷は昔と変わらぬ田舎のままであり、子供たちが昔の自分と同じように、同じ川で魚を釣っている。この小説で最も印象的なのは、その子供たちの顔や姿から、男が「どこの子」かを当てるシーンだ。みんな、かつて自分と一緒に遊んだ友だちの子供なので、すぐに面影からわかったのである。「土減る故郷」では、もはやこういうことも起こらない。「故郷」への切ない挽歌である。『眞神』(1973)所収。(清水哲男)




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