February 2322001

 煙草屋の娘うつくしき柳かな

                           寺田寅彦

いした句ではないけれど、たまには肩の凝らない句もいいものだ。「うつくしき」は「娘」と「柳」両方にかけてある(くらいは、誰にでもわかるけど)。この娘さん、きっと柳腰の美人だったのだろう。その昔の流行歌に「♪向こう横丁の煙草屋の可愛い看板娘……」とあるように、なぜか(失礼)煙草屋の娘には美人が多かった。というよりも、実際はなかなか若い娘と口を聞く機会がなかった時代だから、客としておおっぴらに話のできた煙草屋の娘がモテたと見るべきだろう(またまた失礼)。芽吹いてきた柳は、うっとりするほど美しい。したがって、春の季語となった。かの寺田寅彦センセイから、揚句の娘さんは柳と同じように「うつくしき」と詠んでもらったわけで、曰く「もって瞑すべし」とはこのことだ。それがいまや、煙草屋から看板娘が消えたのもとっくのとうの昔のことで、さらには煙草屋の数も激減してしまい、自動販売機が不愉快そうにぼそっと突っ立っているばかり。とくれば、世に禁煙者が増殖しつづけているのも当たり前の成り行きか。ところで一方の柳だが、さすがに美しさを愛でた句は多いのだけれど、なかには其角のように「曲れるをまげてまがらぬ柳かな」と、その性に強情を見る「へそ曲がり」もいた。極め付けは、サトウ・ハチローの親父さんである作家・佐藤紅緑が詠んだ「首縊る枝振もなき柳かな」かな。でも、こんなに言われても、柳は上品だからして「だから、なんだってんだよオ」などと、そんな下卑た口はきかないのである。柳に風と受け流すだけ。(清水哲男)




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