February 2022001

 眠る山薄目して蛾を生みつげり

                           堀口星眠

語は「眠る山(山眠る)」で冬季だが、冬の間は眠っていた山が目覚めかけて「薄目して」いるのだから早春の句だ。山のたくましい生産力を描いて妙。早春の山というと、私などはすぐに木々の芽吹きに気持ちがいってしまうけれど、それでは凡に落ちる。当たり前に過ぎる。というよりも、山を深くみつめていないことになる。山は、我々の想像以上に多産なのだ。植物も生むが、動物も生む。もちろん「蛾」も生むわけだが、ここで「蛾」を登場させたところが素晴らしい。「蝶」ではなくて「蛾」。「蝶」でも悪くはないし、現実的には生んでいるのだが、やはり「薄目して」いる山には、地味な「蛾」のほうがよほど釣り合う。「蝶」であれば、「薄目」どころかはっきりと両眼を見開いていないと似合わない。「薄目」しながら、半分眠っている山が、ふわあっふわあっと、幼い「蛾」を里に向けてひそやかにかつ大量に吹きつづけているイメージは手堅くも鮮やかである。「蛾」の苦手な人には辛抱たまらない句だとは思うが、それはまた別次元での話だ。大岡信さんが新著『百人百句』(講談社)で、書いている。「星眠は、自然界の描写という点では師匠の水原秋桜子直伝のよさがあり、秋桜子が『葛飾』で水辺の世界をよく描いているのに対して、山の生物を描いているところに特色がある」。私のような山の子は、どうしても秋桜子より星眠に親近感を覚えてしまう。『祇園祭』(1992)所収。(清水哲男)




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