February 1922001

 天心にして脇見せり春の雁

                           永田耕衣

ろそろ、雁(かり)たちが北方に帰っていく季節である。季語「春の雁」は、北へと帰りはじめようとする雁のことを言う。だんだん、姿を消していく雁たち……。明るい春と別れの淋しさとを同時につかまえた季語で、人間界になぞらえれば「卒業」などに近い情趣がある。おそらく、日本語独特の表現だろう。よい季語だ。ちなみに「残る雁」の季語もあって、こちらは病気や怪我のためか、とにかく帰れない雁にわびしさを見た季語である。揚句は、帰るために、もう後戻りのできない「天心(中天)」にまで至っている雁の一羽が、ひょいと脇見をした様子を描いている。作者は、私たちが何となく想像している雁の北帰行の常識的なイメージを、それこそひょいとからかっているのだ。雁たちが一直線に真一文字に、ひたすら「天心(すなわち天子のような心持ち)」で北を目指しているというのが、おおかたのイメージだろう。もとより作者だとて、実際の飛行の様子は知らないわけだが、なかにはきっと「脇見」する奴だっているにちがいないと思った、そこがミソ。「脇見」は心の余裕の産物でもあるが、他方では「不安」のそれでもある。句では、後者と捉えたほうが面白い。ぱあっと北を目指して意気高く飛び上がったまではよいけれど、本当に「これでよかったのだろうか」と、周囲の仲間の表情を盗み見している図。言わでものことだけれど、揚句はたぶんに人間界への皮肉が意識されている。『吹毛集』(1955)所収。ちなみに「吹毛(すいもう)」とは「あらさがし」の意。(清水哲男)




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