February 1722001

 ときをりの水のささやき猫柳

                           中村汀女

かい地方では、もう咲いているだろう。山陰で暮らしていた子供のころには、終業式間近に開花した。まだ、ひと月ほど先のことだ。「猫柳」は一名「かわやなぎ」とも言うように、川辺に自生する。咲きはじめると、川辺がずうっとどこまでもけむるように見え、子供心にも一種の陶酔感が芽生えた。川(というよりも、小川)は重要な遊び場だったので、猫柳はその遊び場が戻ってくる先触れの花であり、そんな嬉しさも手伝ってきれいに見えたのかもしれない。どなたもご存知の文部省唱歌「春の小川」(高野辰之作詞)は、フィクションなんかじゃなかった。とくに二番の「……えびやめだかや 小ぶなの群れに きょうも一日 ひなたでおよぎ」あたりは、現場レポートそのものである。咲き初めた「猫柳」をかきわけて、小川をのぞきこむ。と、いるいる。「えびやめだか」たちが。まだ水は冷たいので入りはしないけれど、のぞきこみながら、何だかとても嬉しい気分になったものだ。揚句の作者は大人だから、私のようにのぞきこんだりはしていない。川沿いの道を、猫柳を楽しみながら歩いている。歩いていると、ときおり「水のささやき」が聞こえてくる。ただそれだけの句であるが、情景を知る者には、なんと美しく的確に響いてくることだろう。作家の永井龍男が戦争中に、いかに「汀女の句になぐさめられたことか」と書いている。わかるような気がする。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)




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