February 0722001

 晴ればれと亡きひとはいま辛夷の芽

                           友岡子郷

春。吹く風はまだ冷たいけれど、よく晴れて気持ちの良い日。庭に出てみると、はやくも辛夷(こぶし)が芽吹いていた。新しい生命の誕生だ。「亡きひと」は辛夷の花が好きだったのか、あるいはこの季節に亡くなったのだろうか。ふと故人を思い出して、「晴ればれ」としたまぶしい空を辛夷の枝越しに見上げているのである。空は悲しいほどに青く澄みわたっているが、作者の胸のうちにはとても静かで明るい思いがひろがりはじめている。天上の「亡きひと」とともに、仲良く辛夷の芽を見つめているような……。辛夷の命名は、つぼみが赤ん坊の拳(こぶし)の形に似ていることから来たのだという。最初は「亡きひと」が「辛夷の芽」なのかと読んだが、つまり輪廻転生的に辛夷に生まれ変わったのかと思ったのだが、ちょっと短絡的だなと思い直した。そして「いま」の含意が、あの人は「いま」どうしているかなという、作者の「いま」の気持ちのありようを指しているのだと思った。輪廻転生は知らねども、生きとし生けるものはみな、生きかわり死にかわりしていく運命だ。このことは「いま」の作者の気持ちのように、むしろ爽やかなことでもある。やがて辛夷は咲きはじめ、ハンカチーフのような花をつける。花が風に揺れる様子は、無数のハンカチーフが天に向かって振られている様子にも見える。いかに天上が「晴ればれ」としているとしても、辛夷の花の盛りに「亡きひと」を思い出したとしたら、作者の感慨は当然べつの次元に移らざるを得ないだろう。そんなことも思った。大きく張った気持ちの良い句だ。『椰子・'99椰子会アンソロジー』(2000)所収。(清水哲男)




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