February 0222001

 冬服着る釦ひとつも遊ばせず

                           大牧 広

者は大変な寒がりやで、身内に少しの外気が入るのも許さない。だから、かくのごときの重装備とはあいなる。ひとつの釦(ぼたん)も遊ばせずに、すべてきちんとかけてから外出する。そんな姿は一見律義な人に見えるが、そうではないと作者自身がコメントしている。「(何事につけ)小心ゆえに、適当に過すということができないのである」とも……(「俳句界」2001年2月号)。小心のあらわれようは人さまざまだろうが、服の着方が私とは正反対なので、目についた。私の場合は、よく言えばラフな着方だが、要するにズボラなのである。いちいちボタンをかけるのが面倒くさい。したがって、外気はそこらじゅうから入ってくる。もちろん寒いが、寒かったら襟を掻きあわせるようにして歩く。そんなことをしなくてもちゃんとボタンはついているのだが、それでもかけるのが億劫というのだから、ズボラもここに極まれりだ。性癖と言うしかあるまい。それにしても、ボタンを遊ばせるとは面白い表現だ。本来は仕事をしてもらわなければならないのに遊ばせておくわけで、女性や子供の服にあるような飾りのボタンとは違う。私のように遊ばせすぎるのは話にならないが、適度に遊ばせるのは粋(いき)やダンディズムに通じるようだ。心のゆとり(遊び心)を表現することになるからだろう。外国にも、こういう言い方はあるのだろうか。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます