February 0122001

 飴売の鳥居にやすむ二月かな

                           入江亮太郎

前の句。縁日でのスナップだろうか。笛を吹きながらにぎやかに飴を売っていた男がくたびれたらしく、小休止している。それも、鳥居の根元のところに腰掛けている。たぶん大きな鳥居で、腰掛けている姿は中腰に近いと読んだほうが面白い。神域で商売をしながら、ちょいと神域に尻を向けている図だ。真っ赤な鳥居と派手な衣装の飴売りの姿との取り合わせにも、長閑な気分がある。全て世は事もなしといった感じに、作者は「もう春だなあ」と微笑している。旧暦の二月は春も仲春だから、歳時記で「二月」は春の部に分類されてきたが、新暦当月はまだまだ寒さが厳しい。したがって、新暦二月を詠むとなると、どうしても「春は名のみの……」という感覚が入り込んでくる。事実、そういう句が多い。そんななかで揚句は新暦句ながら、「二月」に仲春の雰囲気を見つけている。たまさか暖かい日だったのかもしれないが、ふんわりとして明るい句だ。では逆に、ものすごく寒そうな一句を。「詩に痩せて二月渚をゆくはわたし」(三橋鷹女)。渚も寒いだろうが、「詩に痩せ」た作者の心の内はもっと寒い。春など遠い厳寒だ。ただし、このような詩心の行き詰まりをあえて句にする作者の気性は相当に激しく、熱い。いわば癇性(かんしょう)に近い感覚だと思う。だから余計に、句に寒さがしみ渡るのである。遺句集『入江亮太郎・小裕句集』(1997)所収。(清水哲男)




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