January 2512001

 寒の水喉越す辛口と思ふ

                           小倉涌史

中の水は、飲みにくい。というよりも、まずは飲む気もしない。でも、揚句の作者は微笑している。「うむ、こいつは辛口だ」と……。べつに名水などを味わうようにして飲んだわけではなく、単なる水道水を必要があって飲んだだけだろう。薬を飲むなどの必要からだ。「辛口」に引摺られて「ははーん、二日酔いだな」と受け取るのは早とちり。なぜなら、酔いざめの水には「辛口」も「甘口」もへったくれあったものではなく、ましてや「喉越す」味わいの微妙さは意識の外にある。悠長に、したり顔をして「辛口」なんぞと思う余裕はないはずだ。そういうことではなくて、作者は寒い場所で、まったくの素面(しらふ)でいやいや仕方なく水を飲んだのだと思う。意を決して飲んでみたら、意外にも喉元を通る感覚が心地よかった。酒で言えば「辛口」だと思った。寒中の水の味も存外いけるなと、作者は内心でにっこりとしたのだ。この体験の新鮮さに、ちょっと酔っていると言ってもよい。私は痛風(『小公子』の主人公・セドリックのおじいさんと同じ病気。これが自慢?!)持ちなので、医者からとにかく大量に水を飲めと言われている。多量の尿酸を一気に排泄するには、いちばん簡便な方法である。暖かい季節は苦にならないが、冬場はしんどい。早朝の一杯が、とりあえずはきつい。でも、年間を通してみて、水の味がするのはこの季節がいちばんではある。飲むときに、ちらっと逡巡する。その逡巡が、その意識が、口中や喉元に受けて立つ構えを作るからだろう。「寒」には「冷」か。たしかに、かっちりとした味を感じる。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)




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