January 2312001

 うつし身の寒極まりし笑ひ声

                           岡本 眸

妙な味がする。理由は、私たちが「感極まる」という言葉を知っているからだ。そして「感極まり」とくれば、後には「泣き出す」など涙につながることも知っているからである。しかし揚句では「寒極まり」であり、涙ならぬ「笑ひ」につながっている。だから、はじめて読んだときには、変な句だなあと思った。思ったけれど、いつまでも「笑ひ声」が耳についているようで離れない。もとより作者は「感極まる」の常套句を意識しての作句だろうが、この常套句を頭から排して読めば、そんなに奇妙とも言えないなと思い直した。戸外からだろうが、どこからか聞こえてきた「笑ひ声」に、寒さの極みを感じ取ったということになる。その声はたしかに笑っているのだけれど、暖かい季節とは違い、それこそ「感」(ないしは「癇」)が昂ぶっているような笑い声なのだ。これも「うつし身」であるからこそ、生きているからこその「笑ひ声」である。作者はここで一瞬、人間が自然の子であることを再認識させられている。字句だけを追えば、このあたりに解釈は落ち着くだろう。とはいえ、やっぱり「寒極まる」は気になる。字面だけの意味とは、受け取りかねる。「寒極まる」と「感極まる」の間を行ったり来たりしているうちに、ますます実際には聞いたこともない「笑ひ声」が耳について離れなくなる。奇妙な味のする句としか言いようがない。むろん、私は感心して「奇妙な味」と言っている。(清水哲男)




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