January 0712001

 竹馬やいろはにほへとちりぢりに

                           久保田万太郎

いていの歳時記の「竹馬」の項に載っている句。小学時代以来の親友の篠原助一君(下関在住)は、会うたびに「なんちゅうても、テッちゃんとは竹馬(ちくば)の友じゃけん」と言う。聞くたびに、いい言葉だなあと思う。もはや死語に近いかもしれぬ「竹馬の友」が、私たちの間では、ちゃんと生きている。よく遊んだね。そこらへんにいくらでも竹は生えていたから、見繕って切り倒してきては、竹馬に仕立て上げた。乗って歩いているときの、急に背が高くなった感じはなんとも言えない。たしかアンドレ・ブルトンも言ってたけれど、目の高さが変わると世界観も変わる。子供なので世界観は大仰だとしても、この世を睥睨(へいげい)しているような心地よさがあった。揚句の「いろはにほへと」には、三つの含意があると思う。一つは竹馬歩きのおぼつかなさを、初学に例えて「いろはにほへと」。二つ目は、文字通りに「いろはにほへと」と一緒に習った仲間たちとの同世代意識。三番目は、成人したあかつきを示す「色は匂えど」である。それらが、いまはすべて「ちりぢりに」なってしまった。子供のころ、まだまだ遊んでいたいのに夕暮れが来て、竹馬遊びの仲間たちがそれぞれの家に「ちりぢりに」帰っていったように……。ここで「ちりぢりに」は、もちろん「ちりぬるを」を受けている。山本健吉は「意味よりも情緒に訴える句」と書いたが、その通りかもしれず、こんな具合に分解して読むよりも、なんとなくぼおっと受け止めておいたほうがよいような気もする。とにかく、なんだか懐かしさに浸される句だ。(清水哲男)




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