January 0412001

 年酒酌むふるさと遠き二人かな

                           高野素十

事始め。出版社にいたころは、社長の短い挨拶を聞いてから、あとは各セクションに分かれて「年酒(ねんしゅ)」(祝い酒)をいただくだけ。実質的な仕事は、明日五日からだった。帰郷した社員のなかには出社しない者もおり、妻子持ちは形だけ飲んでさっさと引き上げていったものだ。いつまでもだらだらと「年酒」の場から離れないのは、独身の男どもと相場が決まっていた。もとより、私もその一人。早めに退社しても、どこにも行くあてがないのだから仕方がない。そんな場には、揚句のような情緒は出てこない。この「二人」は夫婦ととれなくもないが、故郷に帰れなかった男「二人」と解したほうが趣きがあるだろう。遠いので、なかなか毎年は帰れない。故郷の正月の話などを肴に、静かに酌み交わしている。しみじみとした淑気の漂う大人の「年酒」であり、大人の句である。揚句は、平井照敏の『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)で知った。で、本意解説に曰く。「新年の祝いの酒なので、祝いの気持だけにすべきもので、酔いつぶれたりすることはその気持に反すること甚だしい」。『歳時記』に叱られたのは、はじめてだ(笑)。阿波野青畝に「汝の年酒一升一升又一升」という豪快な句があり、どういうわけか、この句もこの『歳時記』に載っている。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます