January 0312001

 羽子板の重きが嬉し突かで立つ

                           長谷川かな女

子板は女の子の世界のもの。後藤夜半に「羽子板の冩楽うつしやわれも欲し」があって、自分が女の子でないことを残念がっている。この気持ちは、よくわかる。買って買えないことはないのだけれど、買ったからといってどうにもならない。結局は、持て余すだけだろうからだ。もっとも「冩楽うつし」というのであれば、羽子板市で売っているような飾り物としての豪華な羽子板かもしれない。だとすると、なおさらだ。ところで、揚句の羽子板はそうした飾り物ではない。ちゃんとそれで遊べるのだが、安物ではない上等な羽子板なのだ。だから、手に重い。こんなに立派な羽子板を手にしたのははじめてなので、嬉しくて仕方がないという風情。表では、友だちの羽根つきが賑やかにはじまっている。いっしょに遊ぼうと飛び出していって、しかし、すぐには加わらず、しばらくは羽子板の重さを楽しんで立っている。そしておそらく、羽子板は友だちからは見えないようにして持っているのだと思う。ちょっと後ろ手気味にして……。みんなが見たら、きっと「いいなあ」と言うだろう。その一瞬が恥ずかしくもありまぶしくもあって、すっと仲間の輪に入れない気持ちも込められている。ここに夜半のような人が通りかかれば、たちまちに「突かで立つ」女の子の気持ちを見抜いて、そのいじらしさ可愛らしさに微笑を浮かべるにちがいない。この句は、虚子に「女でなければ感じ得ない情緒の句」と推奨された。かな女初期の代表作である。『龍膽』(1910-29)所収。(清水哲男)




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