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December 14122000

 ゐのししの鍋のせ炎おさへつけ

                           阿波野青畝

語は「ゐのししの鍋(猪鍋)」で、冬。「牡丹鍋(ぼたんなべ)」とも言い、猪(しし)は「牡丹に唐獅子」の獅子と音(おん)が同じなので、洒落れたのだろう。関西名物。作者も関西の人。土鍋で芹や大根と煮て、白味噌で味つけする。眼目は「おさへつけ」だ。火に「かける」のではなく、炎を「おさへつけ」て、土鍋を置く。ずしりと重い土鍋の重量感を示しているのと同時に、「ゐのしし」のそれも表現している。加えて「さあ、食べるぞ」というご馳走を前にした気合いも……。こういう句を読むと、やたらに食欲がそそられる。食べ物の句は、かくあるべし。といっても、私は関西が長かったにもかかわらず、「ゐのしし鍋」を食した記憶がない。同じ関西名物の鱧(はも)すらも、東京に出てきてからはじめて食べたくらいで、きっと学生には高価すぎたのだろう。当時(1960年代)の冬は、もっぱら「土手焼き」だった。元来は土鍋に味噌を塗って魚などを煮るのだが、土鍋の代わりにステンレス製の四角い大鍋で出す店が京都・三条通り近くにあり、よく通った。周囲の味噌がほどよく焦げて良い香りとなり、汁と溶け合った味の深さは、まことに美味である。冬が来るたびに「ああ、もう一度食べたいな」と思う。きっと探せばあるのだろうが、上京以来、見かけたこともないのは残念だ。『紅葉の賀』(1956)所収。(清水哲男)


November 30112001

 しかるべく煮えて独りの牡丹鍋

                           飯島晴子

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。「猪鍋(ししなべ)」とも言い、猪の肉と野菜を煮込む味噌仕立ての鍋料理だ。これを「牡丹鍋」と言うのは、「牡丹に唐獅子」の「獅子」の発音に引っかけてある。まるで判じ物だ。さて、私にも覚えがあるが、独りで食べる鍋料理ほど侘(わび)しいものは、めったにあるものではない。何人かで、にぎやかに食べてこその鍋物である。そもそも鍋料理の発想が、そのことを前提としている。すなわち、鍋を囲む人たちも御馳走のうちというわけだ。それを、これから作者は独りで食べようとしている。鍋を据えたとたんから、もう侘しさを感じはじめていただろう。そこで句の勝負どころは、誰もが感じるこうした独りの侘しさを、いかに独自の発想でまとめあげるかということになる。「独りの牡丹鍋」と言うだけで、侘しい気分は十二分に露出してしまう。追い討ちをかけるように、それこそ「侘しい」などという言葉を折り込んだら、煮えすぎた鍋のように食えたものではあるまい。で、苦吟一番、「しかるべく」とひねりだした。周囲に誰もいなくても、煮えてくる状態は、みんなで囲んでいるときと同じであると……。いつもと同じ鍋の活気を詠むことで、対照的に作者の侘しい気持ちが句に極まった。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)


December 17122003

 牡丹鍋力合せて食ひにけり

                           大串 章

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。イノシシの肉の鍋料理だ。食べると、身体がホカホカする。だいたいが関西から発した料理らしく、東京あたりでは店も少ない。イノシシの生息地と関係があるのだろう。いまでも六甲山麓一帯の住宅地などでは、たまに見かけられるという話だ。句の「力合せて」が上手い。なにせ、相手は全力で猛進してくるイノシシだもの。力を合わせなかったら、みんなぶっとばされちまう。というのは半分冗談だが、半分は本当だ。料理屋などの一人前という量は何を基準にしているのかよくわからないが、少なくとも高齢者の食欲を目安にはしていないだろう。かといって、食べ盛りの若者のそれでもない。あいだを取って二で割ったようなものだから、老人には多すぎるし、若者には少なすぎる。作者は、むろん後者の年代に入る。若い頃ならぺろっと食べられた量が、いまでは持て余すほどだ。いっしょに鍋を囲んでいる連中も、みな同じ。残したって構わないようなものだけれど、なんだかもったいない。とりわけて作者の世代は、敗戦後の飢えを知っている。もったいないと思う気持ちには、単なるケチというのではなく、残したものが捨てられるかと思うと、身を切られるような気がするのだ。そこで誰言うとなく、「よしっ、みんな食っちまおうぜ」ということになった。こうなると、もう味は二の次だ。ひたすら食うことだけを自己目的化して、食いに食いまくる。そして全部を食べ終わったときの満足感たるや、ない。そこから自然に立ち上がってきたのが、「力合せて」の実感である。この滑稽さのなかに漂っているほろ苦い隠し味……。俳誌「百鳥」(2003年3月号)所載。(清水哲男)


November 22112004

 兵庫県丹南町字牡丹鍋

                           平石和美

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。猪肉(ししにく)の料理、「猪鍋(ししなべ)」とも。関西で好まれ、肉を野菜と一緒に煮込み、味噌で味付けする。篠山、丹波などに多い。この句が作られたとき(1997)の「丹南町」は多岐郡に属していたが、五年前に篠山町などと合併して、現在は篠山市に属している。句は単に地名を並べたようでもあり、でもまさか「牡丹鍋」という地名はないだろうと思ったけれど、「牡丹」くらいはありそうだと調べてみて、どうやら牡丹以下はフィクションだとわかって、はじめて笑うことになった。つまり「字(あざ)」如何には勝手に当地の名物をくっつけちゃったわけだ。地名にしてよいくらいに、丹南町の牡丹鍋はポピュラーなのだろう。牡丹鍋をいただきながら、ふっとこの洒落を思いつき、心中にんまりしている作者が想像できて楽しい句だ。たまには、こういう遊びもよいだろうと、私もひねってみようとしたが、なかなかうまくいかない。以前住んでいた東京中野にちなんで、「東京都中野区丸井青井町」はどうだろうか。中野駅前には丸井本店があり、経営者は青井さんだ。現在の居住地だと、「東京都三鷹市キウイワイン地区」あたりになるのかな。三鷹市の名物はキウイであり、ワインも作られている。が、やっぱり牡丹鍋には負けるなあ。読者諸兄姉も挑戦してみませんか。『桜炭』(2004)所収。(清水哲男)




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