December 05122000

 金屏風何んとすばやくたたむこと

                           飯島晴子

風(びょうぶ)は、冬の季語。元来が、風よけのために使った生活用品だったからだ。昔の我が家にも、小屏風があった。隙間風から赤ん坊(私や弟)を守るために、両親が購入したらしい。それが今では、結婚披露宴で新郎新婦の背後にしつらえるなど、本来の目的とは別に、装飾品として生き続けている。六曲一双の「本屏風」。華やかな祝宴が終わって部屋を辞するときに、作者は何気なく主役のいた奥の正面あたりを振り返って見たのだろう。と、早くも片付けの係の人が「金屏風」をたたんでいた。それも、「何んとすばやく」という感じで……。せっかくの華やかな舞台が、あっという間に取り壊される図の無惨。などと作者は一言も言ってはいないのだけれど、私にはそう読める。人間のこしゃくな演出なんて、みんなこんなものなのだと。昨年、私が日本中央競馬会の雑誌に書いた雑文をお読みになって、突然いただいた私信でわかったことなのだが、作者は無類の競馬好きだった。「賭け事をするしないにかかわらず、人間は賭ける人と賭けない人と、男と女のように二手に分かれることは感じて居りました。そして俳句には上手だけれどもシンキクサイ俳句があることも気になって居りました」。「シンキクサイ俳句は、賭けない人がつくる……」。この件りについてはいろいろと考えさせられたが、当の飯島さん御自身が、係の人の手をわずらわすことなく、みずからの手で「金屏風」をたたむようにして亡くなってしまった。事の次第は、一切知らない。知らないけれど、シンキクサイ死に方ではなかっただろう。彼女の死によって、ひとしお私には、シンキクサクナイ掲句は忘れられない一句となったのである。『八頭』(1985)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます