October 27102000

 帽子掛けに帽子が見えず秋の暮

                           杉本 寛

の男は、よく帽子を被った。戦前の駅や街などの人出を撮った写真を見ると、たいていの男が帽子を被っている。会社員はもちろん、小説家や詩人もほとんどがソフト帽を被っていたようだ。うろ覚えだが、白秋に「青いソフトに降る雪は、過ぎしその手か囁きか、酒か薄荷かいつの間に、消ゆる涙か懐しや」の小唄がある。おしゃれの必需品だったわけだ。その気風は戦後しばらくまで引き継がれていて、二十代の叔父が、少し斜めに被っていたダンディな姿を思い出す。父は、いまだに帽子派だ。だから、家の玄関だとか会社の応接室などには、必ず帽子掛けが置いてあった。それがいつしか流行も廃れ、「帽子掛けに帽子が見えず」の状態となる。作者は帽子好きのようで、この状態に寂しさを覚えている。「秋の暮」のように物悲しい。と、これは私の勝手な解釈で、自註には「玄関には常に帽子がいろいろと。来客、句会の時は一掃」とある。つまり掲句は、来客があるので一掃した状態を詠んでいるのだ。そこまでは句から読み取れないので、私の解釈でもよいだろう。いまや帽子掛けは無用の長物と成り果て、その気になって探してみても、なかなか見ることができない。若い人に見せても、そもそも何に使う道具なのかがわからないかもしれない。しかし、どういうわけか私の今の職場には帽子掛けが置いてあり、誰も帽子など被って来ないから、もっぱら傘掛け専用で使われている。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)




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