October 01102000

 林檎投ぐ男の中の少年へ

                           正木ゆう子

が大勢いて、そのなかの少年に投げたのではない。男は、一人しかいない。その一人のなかにある「少年性」に向けて投げたのだ。「投ぐ」とあるが、野球などのトス程度の投げ方だろう。ちょっとふざけて、少し乱暴に投げた感じもある。いずれにしても、作者は投げる前に、キャッチする男の子供っぽい仕草を読んでいる。そんな仕草を引きだしたくて、投げている。何故と聞くのは野暮天で、楽しいからに決まっている。他愛ないことが楽しいのは、恋人たちの特権だ。それにしても男女の間柄で、女はなかなか少女の顔を見せないのに、男はすぐに少年になるのは、それこそ何故なのだろう。女のことはわからないが、よほど男は甘える対象に餓えているのかと、思ったりする。パブリックな社会では、男の甘えは許されない。甘えは「幼稚」という評価につながり、互いに「大人」のヨロイカブトで牽制しつつ、「少年」を隠しあう。だから、いかにタフな男でも、息が詰まる。詰まるから、私的な空間ではたちどころに女に甘えてしまう。……なあんて、ね。掲句に対する「大人」の男の最も礼儀正しい態度は、俯いて「ごちそうさま」と言うことである。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)




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