September 1992000

 モルヒネも利かで悲しき秋の夜や

                           尾崎紅葉

村苑子が「俳句研究」に連載中の「俳句喫茶室」を愛読している。物故した俳句作家(いわゆる「俳人」だけではなく)の作品にまつわるエピソードや句の観賞がさらりとした筆致で書かれていて、その「さらり」が実に味わい深い。10月号(2000年)では、永井荷風と尾崎紅葉が採り上げられている。そこで掲句を知ったわけだが、胃癌からくる痛みを抑えるための「モルヒネ」だ。中村さんによれば、このときの紅葉はもはや筆が持てず、すべて口述筆記で表現していたという。それにしても、すさまじい執念だ。不謹慎をおもんぱかる前に、このようなヘボ句を次々に書きとめさせた意欲には、笑いだしたくなるほどの凄みがある。ひとたび俳句にとらわれ、没入すると、人は最後までこのように俳句にあい渉るものなのか。『金色夜叉』の門弟三千人の文豪でも、のたうちまわりながら、遂に俳句だけは手放さないのか。このとき、紅葉にとって俳句とは何だったのだろう。笑った後に、ずしりと重たいものが残る。文学の夜叉を感じる。だが悲しいことに、辞世の句とされる「死なば秋 露の干ぬ間ぞ面白き」は、整いすぎていて面白くない。このヘボ句の壮絶さには、とてもかなわない。口述筆記だから、途中で一文字あけた細工(ここをつづめると、たしかに座りは悪くなる)といい、弟子の誰かが死化粧をほどこしすぎたのである。そんな邪推もわいてくる。『紅葉句帳』所収。(清水哲男)




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