September 1792000

 栗飯に間に合はざりし栗一つ

                           矢島渚男

ヤリ。語意の二重性から、ぽろりと滑稽味が転がり出てくる句。普通に読めば、栗飯(くりめし)に炊き込むには、虫食いか何かで適当でない(間に合わない)栗が、ぽつねんと一つ寂しく残されてあるということだ。おそらく、作者の発想はそこから出ているのだろう。が、栗の役立たずを言うときに「間に合はざりし」と、故意に「時間に間に合わない」とも読める言葉を使用することで、栗の様子がかなり変化した。栗飯の支度に間に合うよう一所懸命に走ってきたのに、「遅かりし、ユラノスケ……」と言われてしまった(笑)。きっと「サルカニ合戦」の栗のように、口を「への字」一文字に曲げているのだ。そんな隠し味が仕込まれている。そうすると、眼前の「栗一つ」が、健気にも可愛いくも見え、いっそう哀れにも見えてくる。存在感が拡大されている。私はあまり擬人化が好きではないが、この程度の諧謔的な範囲での使用ならば許容できる。栗といえば、同じ作者に「栗に栗虫人間に人間虫」がある。こちらは、なかなかにキツい。身にコタえる。ああ、「クリゴハン」が食べたくなってきた、作るのは面倒だけど。吉祥寺「近鉄」の地下で売ってるのは、知ってるけど。商品の栗飯は美味いといえば美味いけど、まったく失敗の味がしないので、好きじゃない。一般的な「正義」の味でしかない。『梟のうた』(1995)所収。(清水哲男)




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